ポツドール
10-Mar-2007 14:30-16:40
本多劇場
Corich公演情報

“裏切り”をテーマに「田舎ならではのやるせなさ、どーしょうもなさ、虚しさ」という【愛憎】を“リアル”に“真摯”に人間関係を追って描いた嘘のない物語
閉ざされた田舎町。
農地拡大に失敗した両親が自殺し、多額の借金を背負うことになった菅原(米村亮太朗)は、気力がうせ、何もかもバカバカしくなり、仕事を辞めてしまう。その上、両親の通夜で知り合った人妻・岩田(安藤玉恵)と関係を持ち、益々“なるようになれ”的なズルズルした毎日を過ごし出す。そんな堕落しきった様子を見兼ねた幼なじみの遠藤(脇坂圭一郎)と先輩・久保(小林康浩)が借金を毎月少しずつ返済してくれているにも関わらず、尚もダラダラと過ごす菅原。そんな菅原の前に久保と遠藤はかつての嫌われ者・杉山(古澤裕介)を連れて来た。事業に成功した杉山が借金の半分を肩代わりしてくれるという――。
「劇団演技者。」より。
借金・自殺・不倫・障害者差別・被差別部落...全く救いの無いラスト。観終わって、しばらく立ち上がりたくない芝居でした。でも、ラスト間近で、登場人物が一気に堕ちていくところは、逆に爽快感があるからフシギ。ダムが決壊するように、常識やモラルや理性で押さえ込んでいた本性が一気に噴出すからなのでしょう。
人間って、少なからず、他人の不幸・悲惨な姿を見てみたいという願望があると思うのですが、その願望を満たすにはふさわしい舞台ではないかと思うのです。
前作「恋の渦」に続き、2回目のポツドール体験なのですが、共通して感じるのは
1.登場人物たちを無性に説教したくなる
物語そのもんは作為的であっても、登場人物の言動はとてもリアルに描かれているからなのでしょう、イヤな奴も情けない奴も、ホントに居そうで、リアルに腹が立ってくるのです。
そして、なぜ、彼らがもう一歩広い世界に踏み出さないのか、とてももどかしく思うのです。「激情」では、田舎独特のしがらみに無意識のうちにとらわれて、自分で自分を追い込んでいるようにしか思えないのです。(ただし町田マリーさん扮する関根だけは、恐らくそのしがらみを平気で断ち切っていけるキャラではないでしょうか。)
2.やっぱり落語ってすげえな
しがらみの中であがき、やがて自滅していく登場人物をリアルに描いているのは見事だと思うのですが、その状況の先を描き、笑い飛ばしてしまう落語はすごいなと思うのです。立川談志の言うところの「落語とは業の肯定」、ポツドールはその「業」であがいている姿をあかさまにみせてはくれますが、じゃあその先は何があるのかと。その業を肯定してしまったところに、人間の本質があるのじゃないかと思うのです。
「黄金餅」という噺があります。金に執着するあまり金を餅で包んで食って死んでしまう西念。その西念を火葬にして腹のなかの金を盗んだ金兵衛が餅屋を開くという噺。ポツドールの描く世界って西念の世界なのです。ただし関根だけは、金兵衛になり得ると思うのだけれど...
そんなわけで、「救いのないラストシーン」の、さらに先の展開を激しく見てみたいと思うのでございました。
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