あなピグモ捕獲団「イチゴ畑で靴紐を結ぶ」
あなピグモ捕獲団
29-Jul-2007 19:00-20:40
中野・スタジオあくとれ
三組の、植物状態の患者と看護の人間。
ところが一人の患者がいなくなります。
看護する側の世界と、患者側の精神世界が、交互に、さらには平行して描かれていきます。
植物状態、正式には「遷延性意識障害」というそうで、
日本脳神経外科学会による定義(1976年)。
1.自力移動が不可能である。
2.自力摂食が不可能である。
3.糞・尿失禁がある。
4.声を出しても意味のある発語が全く不可能である。
5.簡単な命令には辛うじて応じることも出来るが、ほとんど意思疎通は不可能である。
6.眼球は動いていても認識することは出来ない。
以上6項目が、治療にもかかわらず3ヶ月以上続いた場合を「植物状態」とみなす。
ということらしいです。
通常、我々は、言葉や文字や身振り手振りでコミュニケーションをとる。それは目耳口という肉体を使うのだが、本来人間には、その他にテレパシーのように肉体を介さずに精神だけでコミュニケーションする能力がある。ところが肉体という殻のなかに精神が閉じ込められているので、普段は肉体を介してのコミュニケーションしかできないらしい。
しかし植物状態となり、肉体を介しての伝達手段を失ってしまうと、精神だけのコミュニケーションができるようになる。(人間以外の動物や植物とも、精神の世界ではつながっているらしい)
患者同士は精神の世界でコミュニケーションできるし、患者から看護人を見ることも語りかけることもできる。しかし看護人は、その声を聞くことは出来ない。
患者達の精神は、肉体の殻から飛び出して生きたいけれど、なかなかできないでいる。
踏み出そうとしても裸足なので何歩も歩けないというのは、肉体というしがらみがら自由になれないことをあらわしており、「靴を履く」というのは、自由に飛び出していく手段を手に入れたということなのかな。
この話では、イチゴは命をあらわしているようだったけれど、「一期一会」の「一期」
「一期」人が生まれてから死ぬまでの間。仏教用語
からきているのだろう。
靴紐を結ぶのは歩き出すためだから、"命がある限り前へ進んでいこうという決意"が「イチゴ畑で靴紐を結ぶ」ということなのか。
ところで、「イチゴ畑で靴紐を結ぶ」というのは慣用句で、
いちごをつまんでると思われてもしかたない。誤解される行動はするなということ。
という意味があるそうで、
誤解する側=看護する側
誤解される側=患者の側
という意味もあるのか?
オープニングとエンディングで、プロジェクタで(記憶が曖昧ですが)「表現は犠牲の上に成り立っている」というような内容の文が映されていた。
表現=コミュニケーション
と、理解したのだけれど合っているのかな?
一回見ただけじゃ理解し難いです(繰り返し見たらわかる保障もないけど)。
筋肉マンネタやら、スターどっきりマル秘報告ネタなど、小ネタが微妙に古くてなつかしい。脚本・演出の福永郁央さんは1973年生まれらしい。納得。
揶揄世役のますだようこさん、なんだかとっても面白い。
真昼 | 遠藤咲子 |
うずめ | 石井亜矢 |
矢吹 | 為平康規 |
中尊寺 | 長野慎也(本田ライダーズ) |
松田 | 貝谷聡(レイテストアポロ) |
西原 | 若林史子 |
金子 | 吉田恵太 |
揶揄世 | ますだようこ |
脚本・演出 | 福永郁央 |
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