心と体

June 17, 2010

脂肪腫その2

入院当日。

 病院までウチから歩いて3分。指定時刻の14:00に入院。受付に入院申込書を提出し、病棟のナースステーションに行きます。病室に案内されました。「これ読んでおいてくださいね」と、入院の案内と全身麻酔の説明の2冊のファイルを受け取ります。
 寝巻きに着替えて待っていると血圧と体温を測りに看護師さんがやってきました。緊張してるせいで案の定血圧超高(笑)

 今日は夕食後は絶食、21時以降は絶飲食、明日は13時から手術の予定。前の手術次第で予定は早くなるかもしれないとのこと。ふにゃあ。

 夕食。ごはん、鯖の塩焼き、胡瓜ともやしのおひたし、野菜の煮物、かぼちゃ、ヨーグルト。薄味だけど結構うまい。素材の味を生かしてるとも言えるなあ。こーゆーもんばっかり食べてれば健康になるだろうって、そんなお味。

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 消灯21:00
ヒマすぎて困ったので寝る。

 手術日当日

 朝5時前に目覚め。TVザッピング。
 8時過ぎ、談話室に行って、電気シェーバーで髭剃り。ブラックジャックが置いてあったので読んでいると、麻酔科の先生がやってきました。全身麻酔に関する説明を聞き、同意書にサイン。

 部屋に戻ってテレビ見てたら、看護師さんがやってきました。手術が早くなりそうだとのおと。手術着・T字帯・弾性ストッキングに着替え、手術前の点滴がはじまりました。

 11:10、看護師さんと一緒に2階の手術室へ。

 キャップをかぶって手術台へのぼります。血圧計、オキシメータ、心電図がつながれる。「いまからお薬いれてきまーす、まだ眠くはなりません」と言われます。すぐに頭がホワーンとしてきました。やがて、「これから麻酔かけます。1から順に数を数えてください。」、2までは覚えてるんだけど、そのあとまったく意識なし。

 尿道カテーテルは無しだったみたい。
 気管挿管は、入れるのも出すのも記憶になし。

気がつくと手術が終わってまして、切り取った組織もみせてもらいましたが、頭がぼーっとしていて、でかかったのかちいさかったのかよく覚えてません。あとで聞いたのですが、思ったよりもでかかったらしい。

病室にベッドで運ばれて、到着したのが13時ちょい前。ふたたびすやすや。
主治医の先生が様子を診察にきてくれましたが、麻酔中、 気管挿管していたため、喉がつぶれて声がうまくでません。火傷したときのよーに、傷口がヒリヒリするものの、寝ちゃえばわからない程度の痛み。ふたたびすやー。

16:00頃かな、看護師さんが「トイレはどうですか?」と来たので、一緒にトイレに行ってみることにしました。すんげー黄色い尿が出ました。以降は一人で行っても大丈夫でしょうとのこと。ついでに手術着から浴衣に着替え。楽チンなのでT字帯はそのまま。水もガブ飲みしなければ飲んでもオッケーとのこと。
 酸素マスクは夜9時まで、点滴もあと二本で、多分終わるのは夜中だろうとのことでした。

 消灯前に酸素マスクをはずします。夜中に点滴終了、点滴の針を抜いてもらった記憶はありますが、ぼんやりしていて何時だったか記憶には無し。

 翌日。朝4時頃には目が覚めました。朝っぱらからスゲーひま。メールチェックなど。
本日より絶食解禁。朝御飯は、

 御飯、ふりかけ、肉じゃが、もやしときゅうりのおひたし、ジャガイモの味噌汁、牛乳
ジャガイモがだぶってるのは御愛嬌?

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 10時頃、傷口を診に先生がやてきました。血もにじんでいないので今日退院しても大丈夫でしょうとのこと。ドレーンを抜いたときにちょっと血が滲んだくらい。ガーゼ交換し、傷口を圧迫する様にテープでおさえる。なんか毛がいっぱいなので、テープがなかなかつかないっぽい。ボクサーパンツのような、ぴったりとおさえつえるような下着をはいててくださいねとのこと。一日たったらガーゼはずしてシャワー可とのこと。

 入院費総額62,700円。支払い後、次会外来診(3日後)を予約をして帰宅。

 傷口を測ってみるとおよそ5cm。陰毛と縫合の糸が同じ色で、一見どっちがどっちかわからないのが、なんだか笑っちゃいますね。

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 脂肪腫があるとないとでは大違いで、なんか体が軽くなったような気がします。

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脂肪腫その1

 2~3年前、右の下腹部にぷっくりしたふくらみがあることの気づいたのですが、痛くも痒くもないのでそのままほったらかしにしてました。幅2cm長さ10cmの細長いふくらみ。
ところが、最近、なんとなーく邪魔くさく感じることが多くなってきました。ズボンはいた時に、ちょうどベルトの下あたりで、前かがみになると、右側の腹だけ苦しいような、あおむけで寝ると右側の腹だけ思い様な、そんな感じ。

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で、思い切って病院にいってみることにしました。

 受付で「脂肪の固まりみたいなやつができてるんですけど、何科なんですかねー?形成外科でいいんですかねー?」とたずねてみると「そーですねー、まず形成外科で診てもらって、違う様なら他の科を紹介してもらえますから。」ってなことで5階の形成外科へ。

 「まずエコー検査してみましょう。」となり、1階の生理検査室へ。総合病院なので移動量が多いです。ゼリー塗られてエコーあてられて、モニタは見えるですが、何がなにやらさっぱりわかりません(笑)

 エコー検査の写真と検査所見をもらって5階の形成外科の診察室へ戻ります。
「脂肪みたいですね。フツーは円形にできるんですけど、こーゆー細長いのはめずらしいですね。このままにしておいても大丈夫だと思いますけど、どうします?」
100%安全かどうかは切り取って病理検査しないとわからない、取るとなるとこの大きさだと全身麻酔で手術したほうがよいから、2泊3日の入院になるとのこと。

 15秒ほど悩んで、手術をしてもらうことに決めました。

   傷病名: 右下腹部皮下腫瘍
   手術または検査: 摘出術・全身麻酔

 手術の概要と、入院手続きの書類の説明を受けたのち、1階に移動し事前検査(採血・採尿・胸部レントゲン・CT・肺機能検査)を受けました。
 金曜の午前中っていうのもあったかもなのですが、待ち時間が長く、2時間近くかかったような...

この日はこれで終了。診察と検査で13,100円なり。

その2へつづく

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September 16, 2009

葬儀編

葬儀編です。

 余命1ヶ月の覚悟でしたので、6月上旬には、おおまかな葬儀プランをまとめまており、8月に病状が悪化した際には葬儀社(静岡平安祭典)と事前相談をしていたため、葬儀は特に戸惑うこともなく進行。

本人の希望は、

・密葬、家族葬でよい(火葬だけでもよい)
・戒名不要。
・香典はいらない。

でしたので、葬儀社さんと相談しながら下記プランで葬儀を行うことに決定。

・葬儀会館にて実施(遺体は病院から直送)
・家族葬、通夜葬
・無宗教
・式典形式にはしない
・遺影のかわりに誕生から亡くなるまでの写真をスライドショーで上映(エンドレス)
・香典不要
・祭壇ではなく、棺桶を囲むかたち
・告別式は行わず出棺~火葬のみ
・火葬場にて現地解散

 遺影用の写真を用意していませんでしたから、余命宣告後、アルバムひっくり返して遺影に使えそうな写真を探しました。すると、生まれた頃の写真や若い頃の写真が、わんさか出てきました。そこで遺影のかわりにスライドショーを上映することにしました。7月末に99.9%完成、通夜の前日に死亡日を追記してレンダリング→DVD化。
 ついでに入院中の母の写真に黒田知永子さんの着物の写真を合成して遺影を作成、プリント。親戚中、誰も合成だと気が付かなかったので成功~♪
 最近は、パソコンで何でもできちゃうから便利だなあ。

 葬儀場でモニタとDVDプレイヤーを借りようとしたところ、テレビは移動式のものがあるので可だが、DVDプレイヤーは準備できないとのこと。よって葬儀当日は液晶モニタ+NotePC持込でMovie再生としました。

 通夜葬当日は、14:00~15:30 湯灌の儀

葬儀場の湯灌室にて。
畳の部屋に湯灌用のお風呂が置かれ、遺体が横たわっていました。
逆さ水の儀で始まり、男女二人の湯監師さんに、綺麗に洗ってくださいました。
続いて洗髪、「よろしければ洗ってあげてください」とのことで、私と父で洗髪。

 ここで遺族は一旦退出(休憩)。

 湯灌室に戻ると、すでに着替えが終わり、布団の上に横たわっていました。
化粧をほどこすと、まだ生きているように見えます。

 厳かな儀式。心の整理もできるし、やってよかったと思う。費用は約10万でしたが、それだけの価値はありました。

 18:00より通夜葬スタート。
 式典形式ではないので、親戚が集まって自由に故人を見送るという形です。
遺影(モニター)の左右に生花(これは明るい色の洋花にしてもらいました)。
棺桶のまわりを囲んで故人にお別れをしたり、スライドショーの若い頃の写真を見て思い出話をしてもらったり...。
その後、みんなで寿司&料理を食して21:00頃解散となりました。

 父と私は、そのまま母の遺体とともに葬儀場に宿泊。
 パンフには簡易宿泊施設とありましたが、ウチよりも風呂は広いしきれいだし、快適でした♪

 翌日、9:00から出棺の儀。
 棺桶を、皆で生花で満たして、蓋を閉じ出棺。

 10:00点火。
 11:00骨上げ。)
 挨拶、解散。

 家に到着したのが12:30。NHK朝ドラの再放送に間に合ったです、はい♪

以下メモ
・このような式は静岡では珍しいとのこと(通夜葬、無宗教)。
 事前相談しておいて正解(相談した方が葬儀の担当者になってくれた)。
・式次第がないと、戸惑う人もいるので、誰か一人が案内役(世話役)を兼任したほうがスムースかも。
・葬儀費用は総額56万。葬儀費用の積立金が60万あったので、持ち出し0円。
・無宗教で葬儀をやってみると、いかに世間が仏式にとらわれているかがわかって面白い。

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病院 小ネタ集

 さて、大規模病院の病棟を訪れたのは、10年以上ぶり。医療器具が小型化・電脳化されていてびっくりでした。

心電図モニタ

 ある日、病室へ行くと、心電図・呼吸・SPO2のモニタリング用にセンサ&トランスミッタが取り付けられてました。データを電波で飛ばしてナースステーションでモニタリングしているのだそうです。心電図というとベットサイドにでっかいオシロスコープのイメージがあったんですが、最近の電子機器の進化を考えてみれば小型化&無線化されていて当然ですよね。

日本光電
ZS-930P

 母が動いて、センサがはずれてしまったとき、あわてて看護士さんが飛んできたので、ちゃんとモニタできているんだなあとひと安心(笑)

パルスオキシメーター

 定期的に、体温・血圧・動脈血酸素飽和度(SPO2)を計ります。動脈血酸素飽和度は、指先に洗濯ばさみのようなセンサをつけて測定していたけれど、いったいどんな原理なんだろう?

パルスオキシメーター
 プローブから赤色と赤外光が発光し、酸化ヘモグロビンと還元ヘモグロビンの透過光の違いを利用して動脈血酸素飽和度(SpO2)を算出します。
コニカミノルタ パルスオキシメータ知恵袋より

 入院当時は97~98%、末期は60~70%だったでしょうか。

 パルスオキシメーターで脈拍も同時に測定できるのだけれど、みなさん脈は静脈に手をあて、人力で計測していました。「測定器は正確じゃないときがあるんですよ」ってなことを言ってました。脈が弱くなってくると不正確になるのかもしれません。それに、脈の強さや不整脈はパルスオキシメーターでは検出できないでしょう。


輸液ポンプ

 口からの食事がとれないので24時間点滴だったのだけれど、8月下旬からは点滴に痛み止めが混ざるようになりました。適量を点滴するためか、自然落下式から輸液ポンプに替わりました。
テルモ 輸液ポンプ
 腕を動かしてしまうので、そのたびに"閉塞"アラームがピロロロロ鳴ってました。生死にかかわるアラームなので当然といえば当然ですが、かなりの音量。巷で売っている目覚まし時計よりも確実に目が覚めます(笑)。

※腕に刺せる場所がなくなってきて、足に刺すようになってからアラームは激減しました。


PC

 看護士さんが、FujitsuのノートPCをカートに載せて病室にやってきます。血圧、体温等はその場で入力、データは無線LANで随時共有化なのでしょうね。
 たまに廊下にカートが置かれ、よく見ると壁のコンセントで充電中だったりするのが、なんだか微笑ましいです。

 富士通PCなので、ソフトも富士通のソリューションかと思いきや、株式会社SBS情報システムという地元企業の電子カルテシステム PrimeKarteというものらしい。

 室内にもLAN端子がありましたが、医療用器具またはPC用のLAN端子であることはあきらか。病院でネットするためにe-mobileに加入しちゃいました。実家のADSLよりも安定していて快適♪(実家のADSLはよく切れるんだよなあ)


レントゲン

 レントゲンって、フィルムをライトボックスで見るのかと思ってたら、最近はPCで見ちゃうですね。

 内視鏡はCCDだからPC撮込も容易だろうけれど、レントゲンは...ということで調べてみると、いまどきのレントゲンはフィルムではなくイメージングプレートというものを使うのだそうな。
FUJIFILM イメージングプレート
 フィルムより高感度で、現像の必要がなく、再利用可能とある。へぇ。

 FUJIFILMが開発したのだそうだ。撮影画像はフィルムではなくデータとして保存されるため、フィルムが必要な場合はフィルムプリンターで印刷しなくてはいけない。データ形式はDICOMというの共通規格があるらしい。
 

看護師さん

 Windows2000のIMEが"看護士"としか変換してくれない。なぜかというと"看護師"の名称がスタートしたのは2002年だからですね。

そんなことはさておき...

 静岡市立病院は24時間完全看護体制なので、多くの看護師さんが居ます。不細工な人が一人も居ないのが不思議といえば不思議(...というかかわいい看護師さんが多いです♪)。ベテランの看護師さんも、「きっと昔はかわいかった(きれいだった)んだろうなあ」という方ばかりでした(笑)

病院の食堂

朝飯を2回食べただけですが、吉野屋の朝食セットのほうが安くてうまいです。
最大の難点は御飯、前日炊いて保温しておいたものじゃないかな(昨夜の残りかも)、パサパサしていておいしくないでーす。

売店

店内にパン焼き設備があるので、焼きたてパンが食べられる。ここの売店はデイリーヤマザキ系なのかな?

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母親の入院

 9/5、うちの母が亡くなりまして、以下はその備忘録。

 4月に入り、まともに食事がとれない(食べると腹痛で戻してしまう)状態が続いていました。4/20頃、腹痛で救急へ。35年前に、腸の手術をして以来、腸が弱く、詰まりやすかったので、本人は腸閉塞ではないかとの懸念していたそうですが、わずかながら便通があり、X線検査の結果でも腸は詰まっていなかったそうで、点滴で症状回復し帰宅。5/4、再び腹痛激しくなり救急へ。今回は便に血が混ざっていたため(4/20は無し)内視鏡検査をしたところ、胃潰瘍で即入院となりました。

 組織検査を行ったところ癌細胞が発見されました。すでに腹腔内に癌がちらばっており、癌性腹膜炎で腹水がたまっているとのこと。 癌としては低分化腺癌 por、印環細胞癌 sig とのことで、かつ、スキルス性の胃癌なのだそうな。

 難しい言葉はすぐ当然ググるです♪

スキルス癌
...スキルス胃がんは、他の胃がんと同じように粘膜から発生します。
そしてあまり粘膜面の変化をおこさないまま胃壁の中を広く浸潤していきます。
スキルス胃がんは胃の粘膜表面の異常が少ないため内視鏡検査では見つけにくくなっています。
スキルス胃がんに特徴的な転移が腹膜播腫です。
この腹膜播腫とは、簡単にいえば内臓を包む腹膜にがんが散らばって転移した状態のことを言います。
がん細胞が胃壁を貫いていちばん外側の漿膜を越えて外に出てしまい、バラバラと腹膜にこぼれ落ちていきます...

低分化腺癌
もともと分裂する能力のある幼若な(小さくてN/C比の高い、ほとんど分化していない)細胞が、どんどん増えていってしまいます。 低分化な癌ほど、ばらばらになりやすく(転移もしやすく)、手強い相手となります。

印鑑細胞癌
低分化腺癌のうちの粘液産生型であって、腺腔形成能は乏しいが、この癌細胞はその細胞質内に粘液を産生・充満し、その結果、核を一側に押しやるために印環細胞型を呈する癌です。

...この種類の細胞からなるがんとしては“スキルス胃がん(硬がん)”が有名です。印環細胞が見つかったとしてもすべてがスキルス胃がんとは限りませんが、スキルス胃がんへ進展する(あるいはすでに進展している)ことが多いといえます。スキルス胃がんにおいては、印環細胞が間質(繊維質)を伴って、胃の壁にびまん性に浸潤し、結果として硬くなります。また、悪性度が高いので、腹膜への転移、リンパ節への転移、骨などの血行性の転移を起こしやすいといわれています。

※細胞診については子宮癌についてのページだけれど、とてもわかりやすかったので参考に。
細胞診について

...と、いちばんやっかいな癌で、

 ・すでに腹膜に癌が散らばっている。
 ・手術、抗がん剤治療に耐えうるだけの体力がない。

ということで、余命1~2ヶ月だろうと宣告でした。

 面談の二日前、病院から「組織検査の結果、よくないものが見つかった」という連絡があり、夜も眠れなかったのですが、いざ宣告されると、暗い洞窟の向こうに光がみえたような、何か憑き物が落ちたような気分でした。「もしや、悟りを開くっていうのはこんな気分なのでは」と思ったりして(多分違うでしょうけど)。 不思議と"悲しさ"や"悔しさ"はなく、ただ「お疲れ様」という気持ちだけが生じてきました。
 これはどういう作用なのか、精神分析学的に考察してほしいところ。

 先生と話し合って、以下のように決定。

  ・本人には告知はしない。
  ・できるだけ苦しまないようしてあげたい。


 入院してからは絶食&点滴治療(治療といっても癌の治療ではなく胃潰瘍の治療なのですが)
潰瘍は治ってきたのですが、癌性腹膜炎で腸の通りが悪く、本来は便となって出てゆく分泌液が胃に逆流してくるため、吐き気がひどい。吐けば一時おさまるのですが、その間隔が短くなり、頻繁に吐き気が起きるようになりました。

 鼻から管を入れると、吐き気はおさまるとのこと、自由に動けなくなるのがいやで本人は拒んでいましたが、あまりに吐き気がひどいので、本人を説得し、鼻から管を入れました。すると、吐き気がウソのようにおさまり、また、潰瘍の痛みもなくなってきたこともあって、本を読んだり音楽を聴いたりする余裕がでてきました。

 6月末には、特に治療をしているわけでもないのに腹水が消滅(先生も不思議がっていた)。家に帰るとなればいましかないとのこと。
本人は、「いま家に戻っても家事も炊事も何もできない。完治してから帰りたい。」と考えていたようです(本人には告知していませんでしたから)。そこで、私が家にいる土日のみ自宅外泊することにしました。
 最初は不安がっていましたが、久しぶりに自宅の風呂にはいることができ喜んでいました。その後、流動食なら食べられるようになり、体力も若干ながら回復、週末は家で掃除・洗濯・庭いじりしてました(もともと家の仕事をするのが好きな人でしたから)。

 8月になり「お盆は一週間外泊かな」なんて話をしていたのですが、8/2に病状が悪化、吐き気がはげしくなり、ふたたび鼻から管を入れました。外泊は中止になりました。「せっかくよくなってきたのに振り出しに戻ってしまった」と、本人かなり意気消沈。

 8/12に腹部に激しい痛み。「腸閉塞で腸が詰まってしまったか、あるいは癌が神経に達しての痛みと思われる」とのこと。
 点滴に痛み止めを入れるようになりました。息をするのがつらいようでした。夜間は、痛みで眠れないため、睡眠導入剤を使用。

 8/20には、不安のせいなのか薬のせいなのかはわかりませんが、精神が非常に不安定に。幻覚を見るようになりました。
家に帰ろうとして管を外そうとしたり、ベッドから降りて転んだり。危険な行動を示したときは、睡眠導入剤を使って眠らせてもらうようにしました(睡眠導入剤は呼吸をおさえてしまうので危険を伴うとの説明を受けましたが、どっちにしろ先は長くないのだし、もし眠ったまま苦しまずに亡くなったとしたら、本人にとっては幸せかなと思いましたから)
 この日から、夜は病院に泊まるようにしました。簡易ベッドも馴れると結構快適でした。

 9月、激しく動く体力もなくなってきたのか、ベッドから降りたり...という危険はなくなりました。発する言葉は、ほとんど聞き取れない。一日中、朦朧としている感じ。
 血圧が80-50まで下がる。動脈血酸素飽和度も70%を示してかなり危ない状況。いつ亡くなってもおかしくない状態だが、まだもっているとうのは、かなり心臓が丈夫だからだろうとのこと。

 9/5、午後の定期巡回で看護士さんが血圧測定したところ脈がかなり弱い様子。「親戚呼んだほうがよい」と言われ、電話連絡。病室に戻ると、明らかに呼吸が弱くなっていました。間も無く、眠るように亡くなりました。私が病院に居るときに亡くなってくれて、子孝行な親ですね。

 病院に寝泊りするようになってから、暇つぶしにポータブルメディアプレイヤーに映画や芝居を落としてみていたのですが、9/4に見ていたのが、宝塚舞台の2本「アパルトマンシネマ」と「イーハトーヴ 夢」。前者は、余命わずかの殺し屋の話、後者は宮沢賢治が亡くなるまでの話と、死にまつわる2本を見てしまったのは偶然じゃないかも。

 結局、4ヶ月間の入院となりました。当初は、余命1ヶ月の覚悟でしたから、残り3ヶ月は、最後の親孝行をするために神様がくれた時間ではなかったかと思います。(ここでいう神様は、特定の宗教の神様ではないことを言っておく)

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November 09, 2006

ひざまくらみみかき

池袋演芸場に行ったついでに近所を散策していたら、

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 ちゃんとまじめな店で山本耳かき店というそうです。すげー行ってみたい。しかしよくまあ誤解を受けそうな地域にお店を構えたものだと思うです(笑)

耳かき屋さんはある、風俗があるかと思えば東京芸術劇場もある、ちょっと歩けば立教大学。

池袋って、なんだか文化の坩堝だな♪

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March 21, 2006

ドッサリ♪

このカテゴリーであっているのかどうかよくわかりませんが、上野の某クスリ屋さんで...

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ドッサリ」だもん、こりゃあ効くでしょ~

ホントーによく動いてよく食ってよく寝た次の朝とか、信じられないくらい「ドッサリ」出ることがありますが、あまりのドッサリさに、何か偉業を達成したような気分になります。思わず便器に向かってガッツポーズとったりしちゃいますが、よく考えるとバカですね♪

さて、アメ横のとあるお店でみかけた一品、

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ウインナはいっているとウマそうだな♪と思っただけで別に他意はないです(笑)

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