落語教育委員会@横浜にぎわい座 夜の部
26-Sep-2009 18:00~22:30 1F-な-8
横浜にぎわい座

オープニングコント 替え歌 よこはまたそがれ(歌武蔵)~ブルーライトヨコハマ(喬太郎)
柳家右太楼 「締め込み」
三遊亭歌武蔵「たばこの火」
柳家喜多八 「明烏」
柳家喬太郎 「任侠おせつ徳三郎」
オープニングコント
タキシードの歌武蔵氏。、
ドンキで買ったらしい青のドレスを着た喬太郎氏に、場内大爆笑。すごいおなか(笑)。後ろを向くと、スカートが裂けててピンクのパンツ丸出し(笑)。
最後に喜多八氏が歌おうとすると緞帳下がっておしまい。
柳家右太楼 「締め込み」
オープニングゴントにも負けず、好演。
三遊亭歌武蔵「たばこの火」
元は上方の噺。江戸に舞台を移していても、上方のにおいがするのは、商人の金の使い方の噺だからなのでしょうね。景気のよい話は歌武蔵氏にぴったり。
柳家喜多八 「明烏」
たまらなく可笑しい。完成度のたかい「明烏」。にぎわい座が吉原になりました。
柳家喬太郎 「任侠おせつ徳三郎」
「おせつ徳三郎」からの改作のポイントは以下の通り。
旦那、番頭、刀屋は元ヤクザで仲間同士。おせつの結婚相手は番頭で、徳三郎を追い出したのも、自分がおせつの婿となり、お店を我が物にせんとする番頭の悪巧みだったという設定。定吉におせつと徳三郎の逢瀬を旦那にしゃべらせたのも番頭の仕業。番頭は旦那を殺し、番頭は刀屋に殺される。自分たちのせいで何人もの人間が死んだ、もう生きてはいけないと吾妻橋から飛び込むおせつと徳三郎。すると川が二つに割れる。死ねない二人は、一生罪を背負って生きていくことを決意する。二つに割れた川は、やがて元に戻り、いつもの日常が江戸の町に戻る。
前半、花見の逢瀬のくだりは、すべて番頭の創作で、真実は、本当に花見に行っただけ。徳三郎をお店から追い出すために、番頭が定吉に吹き込んだものという設定にしてありましたが、やはり「逢瀬は事実だった」とすべきじゃないでしょうか。そうでないと、おせつと徳三郎が最後に心中するまでの仲だと、聞き手に印象つけられないと思います。さらに定吉、旦那の飴と鞭で、まんまと二人の秘密を喋らされてしまうのが前半の可笑しさですが、それがすべて定吉の演技だったとすると、相当ずる賢い少年ということになり、前半の可笑しさが半減してしまうと思います。
元の「おせつ徳三郎」を知っている物にとっては、この改作は、かなりインパクトがありますが、上記の部分に関しては、ちょっとやりすぎではないかと。
川が二つに割れ命が助かるというくだりは、モーゼの十戒のようで思わず笑ってしまいましたが、川が割れてできた道というのは、死後の世界の道と捉えるべきかもしれません。二人は死んだとは思っていないだけで、それは死の世界へ繋がる道であったと。その道の先にあるのは天国か地獄か、はたまた罪を背負い、永遠にその道を歩き続けるのか(さまよい続けるのか)。これはなかなか奥の深い。
「...川が元にもどり、日常が江戸の町に戻ってまいります。」というさげのセリフが秀逸。どんな大事件も、いずれ日常に呑み込まれてしまう。これは真理だと思います。
喬太郎氏の「おせつ徳三郎」は心中したころで終わりとなりますが、「任侠おせつ徳三郎」では、心中にいたる二人の心の動きが細かく描かれていています。おせつ徳三郎は喬太郎氏の手で、古典的な心中物語から現代的な悲恋物語になりました。"任侠~"の派手な部分が目立ちますが、本当の改作の目的は、"現代的な悲恋物語"にすることだったのかもしれません。













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